論証構造
文章が論理的であるためには、①主張(結論)が必ず②根拠(理由)をともない、かつ①と②の間に③合理的な関連性が成立することが必要です。 ③合理的な関連性とは、その根拠(理由)があれば、誰でもその主張(結論)を導くことができる(誰もが納得できる)ということです。 ただの相関関係(何らかの関係性)ではなく、主張と根拠の間に因果関係に似た関係(原因と結果に近い関係)があることが必要です。
答案作成時には、自分の主張と根拠との間に合理的な関連性があるかを検証します。
①その主張から無理なくその根拠に遡ることができるか、②その根拠は別の主張の根拠にもなってしまう可能性はないか、の2点をチェックします。


なんでもイイから根拠をつければ
「論理的」になる、
というものではありませんよ!
困ったときに「使える」根拠付け
以上のように小論文の答案が論理的であるためには、自分の主張と合理的関連性のある根拠を示す必要があります。
しかし、「直感的に」結論は決まっているのだけれど、説得的な根拠が思いつかないという場合もあります。
そのような場合には、例えば以下のような観点から根拠付けができないか、試してみてください。


過去の成功/失敗の経験や歴史的教訓を理由付けに使います。
例えば、「大正~昭和初期の都市と農村部の経済格差が社会的不安定を生み、軍部の台頭につながった。それゆえ今日においても経済格差を単に個人の能力と責任の問題として放置することは、結果的に社会の不安定化を招き、社会全体の利益を損なうことになる。例えば~」という具合です。

現代社会の特性や直面している課題との関連から、主張の根拠を説明します。
例えば、「経済格差の固定化と貧困層の増加はかえって社会保障費の増大を招き、喫緊の課題である財政再建の道を妨げる。また、国民全体の有効需要の低下から消費が減少傾向となり経済の停滞を招く。結局調和のとれた発展こそが財政健全化と経済発展にとって望ましい…」という具合です。

哲学や倫理学、社会科学などの理論を参照しながら、主張の妥当性を説明します。
例えば、「人は全て平等であるが、平等とは誰もがその資質に応じて自ら望む生き方をすることを妨げられず等しく幸福を追求できることを意味すると考える。そうであれば、経済格差の固定化により、生まれた階層によってそれが許されない者が多数存在する社会は、本当に平等な社会と言えるだろうか。例えば…」という具合です。

自分の主張が実際に行われることによって、どのような成果をもたらすかを説明します。
例えば、「富裕層が全財産を消費に回すことは考え難いが、例えばベーシックインカム制度により貧困層にも一定の収入を保障すれば、彼らは社会の標準的な水準の生活をするために必ず消費する。すなわち、経済の発展に役立つのは富裕層よりもむしろ貧困層に手厚くて格差を縮小するような政策であると考える」という具合です。
以上で注意すべきことは、例えば①については、歴史上の出来事の解釈は一つではありません。
③についても、「自由」や「平等」という概念が具体的に何を指すのかは論者によって分かれます。
したがって、①自分の考える歴史的事実の解釈や③概念の定義を、議論の最初に必ず書いておく必要があります。
また②について、社会的課題の重要度は人によって評価が異なりますし、④で論じられる結果はあくまで仮定の話です。
したがって、説得力としてはやや弱めであることに注意してください。

自分の経験をもとに考える
やはり最も説得的なのは、自分自身が経験したり、読んだり聞いたことに基づいて、自分の頭で考えて導き出した「根拠と結論」です。
その経験を具体例として書くことができれば、さらに説得性は増します(これを論証構造の「補強」と言います)。
「経験」は、それが具体的で主張との関係性が強い(誰もが「そのような経験をしたらこのように考えるよね」と思ってくれるほど説得性がある)場合には、それ自体が根拠として論証構造を成立させる機能を果たします。

「論理」の限界と価値判断の重要性
小論文答案作成において、論理的であることは必要条件であって十分条件ではありません。
論理的なだけで高評価が得られるわけではないことを理解しておく必要があります。
「論理」のパラダイム依存性
「論証構造」は一定のパラダイム(ある価値観にもとづく考え方の枠組み)のもとで「正しさ」を導くための技術です。
つまり、パラダイム(価値観)が変われば「正しいこと」も変わります。
次は、一緒にハンバーガーを食べに行くことになったAさんとBさんが、どの店に行くかで意見が分かれている例です。

Aさんの主張
「マクドナルドに行こうよ。モスより安くておなかいっぱい食べられるよ」
Aさんは価格の安さを主張の根拠にしていますが、その前提には、おいしさよりも価格の安さを優先する価値観(懐事情が厳しいので、外食であまりお金を使いたくない)があります。
これがAさんのパラダイムです。
Bさんの主張
「モスバーガーに行こうよ。マックよりずっとおいしいよ」
Bさんはおいしさを主張の根拠にしていますが、ぞの前提には、価格の安さよりもおいしさを優先する価値観(せっかく友達と行くのだからおいしいものを食べたい)があります。
これがBさんのパラダイムです。
この二人の発言は、どちらも論証構造が成立しており、論理的な誤りはありません。
AさんとBさんの間には「価格と味のどちらを優先するか」というパラダイム(価値観)の対立があり、それぞれのパラダイム(価値観)のもとでは、お互いに正しいことを言っているのです。
ある主張が論理的に正しいかどうかは、結局その前提となるパラダイム(価値観)によって決まります(パラダイムに依存する)。
つまり、論理性=「正しさ」だけでは意見が対立する問題を解決することはできないのです。
価値判断の必要性
結局、小論文試験で大学が知りたいのは、論証構造の前提にある受験生のパラダイムです。
なぜその価値が大事なのか、なぜ自分はその価値を優先するのか、しっかりと説明できることが期待されています。
複数の価値のどれを重視すべきか、メリットとデメリットを比較して考察する過程を「比較考量」といいます。
当事者が主観的に行う場合は「価値判断」ですが、本稿では分かりやすいこちらの言葉を使います。
「価値判断」についてしっかり書けていることが、他の受験生に差をつける答案作成の決め手になります。

現代社会には意見の対立が何十年も解決していない問題がたくさんあります。
これらが解決しないのは、主張の論理的正しさではなく、その前提にある価値観の争いだからです。
価値観にはっきりと正しい・間違っていると優劣をつけることはできません。
民主主義が話し合いや多数決をシステム化しているのは、そもそも人間がそれぞれ多様な価値観を持つことを認めているからです。
論証構造の例

例えば「今年のベイスターズは強いから優勝する」よりも「今年のベイスターズは強打者がそろっており皆好調で打線が強力だから優勝する」の方が、より論理的な文です。
また、対立する主張への批判は、前提や合理的関連性に対して行うべきであり、主張そのものを否定するだけでは論理的な批判とは言えません。
例えば「ベイスターズは弱いから優勝できないよ」では論理的な批判とはなりません(これは「否定」と言います)。
「確かにベイスターズの打線は強力だけど、けが人が多く機能しないだろうから優勝できない」
「もちろんベイスターズの打線が強力なのは認めるけど、先発投手が手薄だから優勝できない」
これらは論理的な批判として成立します。
なお、このように「確かに/もちろん~(反対説の前提)~逆説~(自説の前提)~(自説の主張)」の構造を「譲歩」と言います。
反対説の前提に一定の理解を示しつつ、これを批判して自説を展開する技法です。
論理力を鍛える書籍の紹介

野矢茂樹『論理トレーニング』
20年くらい前の古い書籍なのですが、その後このジャンルにおいてこの本に勝るものは出版されていないと思います。
したがって、今日でも論理力を鍛えるにはこの本がベストだと思います。
興味がある方はぜひ読んでみてください。
最初の部分だけでも目からウロコですよ。